足かせのついた自分
ミヤオです。
「で、それって一体何の役に立つの?」
いつから本当そんな風に考える癖がついたんだろう。
最近、自分のことをフォローしてくれた Twitter アカウントがあって、その人はアニメの絵をとても上手に書いている動画をアップしていた。
素直に とても上手だなと思った。
その後に去来してきたのは、冒頭のそんな思い。
絵が上手い人はこの世にごまんといて、もちろんフォローしてくれた人より絵が上手い人はたくさんいる。
埋もれてしまうような価値がいったい何の役に立つんだろう。
そんな思いが条件反射のように浮かんでくる。
これって、とんでもなく重い足枷になっている。
頭の中で自分勝手に、全世界の人たちとの競争に巻き込まれている。自らを巻き込んでいる。
突出した成果がない限り、それは無価値だと感じてしまっている。
自分で価値を認められないから、誰かに見せるのが恥ずかしい。そもそも始めることすらしない。
何かをするとき。何かを作るとき。その思いや形は誰に届けたいのか。
身近な誰かなのか。地域なのか。見ず知らずの同じ思いを持った人なのか。それとも自分自身なのか。
自分で価値を認められないから、誰かに見せるのが恥ずかしい。そもそも始めることすらしない。
もっと自分の声に意識的に耳を傾けた方がいい。
やってて楽しいから。ワクワクするから。あの人が喜んでくれると思うから。
そういった動機をちゃんと見つめて大切にして、何度も 見つめ直したい。
そうすることが、周りの人や自分自身も大切にするっていうことに繋がるように思う。
出来事、物事を素直に楽しめない。
そんな 凝り固まった感受性へのリハビリとして、これまで体験したことがない新しいことを体験することは有効なんじゃないかなあと思う。
体験を通じて、自分の心の動きを意識的に感じ取って 、何を楽しいと思うのか、何にエネルギーが湧き上がるのか、発見して 育てていければと思う。
自分ごととしては、空き家のリフォーム工事が本格的に始まる。まずは施工対象部分の解体作業を行うそうです。
朝から立ち会う予定。工務店さんからは「危険で、真っ黒で、暑いから、可能な範囲で参加してね」と声掛けしてもらってます。
未知の体験、楽しみます。
蛇足として、
この文章は、妻の実家から空き家に歩いて向かう道中に、ほぼ音声入力で書きました。音声入力の恩恵を非常に受けられたと思う。文章化する時間って結構かかるから、それが障壁になってアウトプットがとてもしづらいと感じてました。子供と横になったら自分も寝ちゃうし。いいー深夜散歩になった。
あといま、KindleUnlimitedで「左ききのエレン」を読み進めてます。とても面白い。