ひとりじゃないって すてきなことね

ミヤオです。

 

ありがたいことに、先日の下記投稿を目にしてくださった方から、記事に対して抱いた想いを共有していただくという幸運に恵まれました。

今回はこの件に関連して書きます。 

 

 

濃ゆいコメントいただきました!

 

私の書いた記事なんて軽く吹っ飛ぶくらいの、その人と子どもの人生から来るからこその非常に含蓄に富んだコメントをいただきました。消化不良おこしちゃうくらい濃ゆい。なんども読み返して、腑に落として思考行動に反映するところまでもっていきたいと思ってます。

 

まじで記事書いて公開してよかったと思います。まーじで。

 

 

コメントにある要素をいまの自分の理解力でもって抜き出すと、次にようになります。

  • 困った場面に遭遇した際に、次の要素で問題を切り分けるようにしている
    - 自分の問題
    - 我が子の問題
    - 相手方の問題
  • 子どもは、問題を解決する「手段」を、自分の親の行動から学習している
  • 問題に向き合うたびに子どもに寄り添う軸を増やし、そして前に進む
  • 子どもは親の一部ではない、ということに自覚的であるべし
    - 親がイラっとくる状況でも、子どもはなんともないことだって多い
    - 親が身につけられなくて悲しかった能力 / 得たかった環境は、必ずしも子が得たいものではない
    - (でも、両者の想いが合致することもあって、それはとっても嬉しいよね!)
  • 子どもにはその場で即座に振る舞い方がわからなくとも、すべての経験は蓄積され、いつしかその子の想いや行動として発露する
    - それは往往にして大人では敵わない力をもっている
    - (コメント主さんはその姿を見て、知って、「ああ、この人は私には敵わないものをもってるんだ、すごい」と思い、こどもの見方がさらに変わったそうです。)

 

上記のことを、ご自身の経験に基づいて、言葉豊かにコメントしてくださいました。

もうね、爪の垢を煎じて飲みたい心境です。

私はコメント主さんの発信を「生ける子育てバイブル」としていつも参考にさせてもらっています。

 

「問題の切り分け」を実践してみる

コメントをいただいて「ふむふむなるほどー」で終わっては伸び悩む。

ということで、先頭の「問題の切り分け」を行ってみようと思います。

 自分の問題
  1. 子どもの様子を見守るのが遠巻きすぎた(発生した事象を把握できていない)
  2. 子どもの気持ちのケアにまったく意識が向かなかった
  3. 状況がわからないまま謝罪だけした

1は、直後から実践したとおり、今後も何が起きたかを把握できる距離には極力いようと思う。「[自由]と[放任]」が最近の自分のテーマのひとつになっているのだが、今回の件は [放任] に入ると感じており、その点について反省している。

2は、相手方の親が強い言葉を使っていても我が子は特に気にしていないように「表面上」見えたため、ケアしなければという気持ちが起こらなかった。しかし、コメントいただいて初めて、我が子は「内面的には」恐怖や不安を感じていたかもしれないという点に気が付いた。いま気づくのかよーと自分の力の無さを感じつつ、それでも今気がつけてよかったとも感じる。

3は、可能なら相手の親御さんに状況を聞けたらよかったな。いやでもちと怖えーな、ウン。後述の挨拶によってそのハードルを下げられる気はする、うん。

 我が子の問題
  1. 自分の気持ちを優先して無理な割り込みをする

これは、いますぐ無理やりやめさせてよいものではないと考える。危ないシーンは手を出してでも止めるけど、そうでなければ親としての自分の気持ちを伝えつつ、息子の変化、成長を見守っていきたい。そのためには、公園内での親同士のコミュニケーションができたらいいなあ。子ども同士が接触する前に親御さんに挨拶するだけでも状況は大きく好ましいものになるだろうなあ。挨拶大事。

 相手方の問題

この項では「自分が相手方の行動をしたとしたら、自身として何が問題だったか」という観点で考えてみたい。

  1. 強い言葉で非難した
  2. 子どもへの説明を怠った

1は、子どもに限らず、どんな相手に対しても、強い言葉は使いたくないし、使わずに済むと思ってる。でも、時として強い言葉が口を衝いて出てしまう。自分に置き換えると、余裕がないときにそんな状態になってしまう。子どもに車内でジュースこぼされたときにそんな感じになった今日の自分も重なるなあ。問題が生じたとき、

2は、全員に求めたいことじゃなくて、これもまた自分に置き換えたとき、我が子と同じように他の子にも接せられればと思ってる。そうなると、 子ども同士のやりとりの機会を奪うことはしたくなくて、また他の子が我が子を泣かせてしまったとしたら、我が子にいつも聞くようにその行動の背景を聞いて、そのうえで自分の意見を伝えたい。

 

実践後の感想

子どもに対して自分がどう思っているのか、どう接したいのかということがこれまでより明確化されたと感じます。

また、なにか事があったときの子どもへの接する視点が増えたとも感じます。 

 

そして、至らなさ。感じますねえ〜〜。。。

少しずつ、前に進んでいくしかないですね。

 

 

 ひとりじゃないって すてきなことね

先日の件を自分の内側だけで抱え続けていたら、悶々とした気持ちは残り、独り合点した結論や思考が残り、なにかこう、偏りを生んでいたんじゃないかなと思います。

 

そこに、別の視点を与えていただいた事で、考えが整理されたり、課題が見えたり、いい事ずくめでした。

 

なにより、ブログ書いてよかった!!という率直な嬉しさを感じました。

 

コメントいただき、本当にありがとうございました!!!

 

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