公園、内省。
ミヤオです。
本日の公園遊びにて、先日と同じく遠巻きに子どもたちの様子を眺めていたら、こんなことがあった。
- 滑り台をすべるためのはしごがある
- それを先に登りはじめた子がいた
- 後から息子が脇を登りはじめて、先に上に到達した
- その際、近くにいた父親が「あぶねーな!」と怒気を孕んだ声を出した
- 先に登りはじめていた子はその父親に抱っこされた状態で泣いていた
視界の途中に障害物があったため詳細を把握しきれず、現場に走り寄ると、やはりどうも息子の行為が原因で問題が生じているようだった。
とりあえず、近くにいた父母に謝った。「この子の父です。すみません。」
登頂した息子は、泣いている子の父親に向かってこう言った。
「○○(自分の名前)は、一番に登りたかったんだよ。」
すると、父親はこう言った。
「邪魔だからどけよ。」
そばにいた母親も、同調するような言葉を発していた。
「もういいよ、行こう。」
そう言って、その家族は遊具から離れていった。
自分は改めて謝った。「すみません。」
このやり取りの間、その父母の視線も言葉もすべて、自分ではなく、息子に向けられていた。
去っていった後、息子に向かってこう話した。
「順番は守ろうね。そうでないと、人に危ない思いや痛い思いをさせてしまうことがあるんだよ。」
この件のあとは、息子の様子をより近くで見るようにしていた。
先ほどと同じように、先に登っている子の脇から自分も登ろうとしたときは、「順番だよ」と声をかけ、息子はそれに応じて自分より幼い子が時間をかけて登る間、じっと待っていた。
いろんな思いが去来した。
- あの家族には悪いことをしてしまった、楽しいはずの公園で気分を悪くさせてしまった
- 大事なお子さんに痛い思いをさせてしまっていたとしたら、非常に申し訳ない
- 息子や自分にとってはいい経験をしたと思っているが、あの家族の気分を害してしまう権利はないなあ(いい経験をしたなんていっても、そのあとは悩みが逡巡する時間を過ごしたけど。)
- 状況を把握しないまま謝罪したのは、自分の性質だろうなあ(場が収まることを好む)
- その点については息子にも申し訳ないことをしたな
- しかし、なぜ自分の方を見なかったのだろう?親である自分に対して注意しなかったのだろう?
- あの場面で、立場が逆だったら、自分はどうしていただろう?
- きっと、その子にこう話しかけただろうな。「ちょっとまって。そうやって登ると危ない思いをする子が出ちゃうとおじさんは思うよ。」
- あるいは、様子見したかな。
- 子どもとは対等な関係性で接したいと思っているし、そうあるべきだと個人的には思っている
- すると、あの父親の心境はどうだっただろう?
- 言い返せない子どもに対してだけ強い言葉を使って、親である自分には面と向かって何も言わなかった、それってもしかして「弱いものいじめ」じゃない?
- ああ、それ思い当たる。。。自分も、自分の子どもたちに対してそういうことやってしまっているときがある。。。
公園では上述の件だけじゃなくて、とっても素敵な時間を過ごしていた。
うちの娘より少しだけ年上の女の子と仲良くなって、三人で鬼ごっこ(永遠の鬼=ミヤオ)をしたり、アリをみんなで探して捕まえたり。息子はまたもお姉ちゃんにすっかりなついてあやされたり。
そのあとは、うちの娘より年下の女の子と仲良くなって、遊具で遊んだり我が家の犬を触ったり。
はたまた、同い年の別の子と遊んだり。
よくもまあそんな簡単に交友関係を結べるなあ。
先日は弟のクセになる魅力に、そして今日は姉のコミュニケーション能力に関心しきり。
それに応じて遊んでくれる子たちも完全に自分を出している。
子どもの、「楽しいこと」に対するアクションの素直さがすごいと思う。
子ども同士で解決できることって、たくさんあると思う。
それを信じて、できるだけ不必要な親の介入は避けたい。
ただ、放任するのはまた違う。
じゃあ、ちょうどいいとこってどこ??
あって、そしてないようなものに対して、悶々とする。
ただひとつ、そのときに感じる自分の信念があるとすれば、その信念に反することはせずに行こうと思う。
その信念が間違っていたなら、正していこう。
完全な答えなんてどうせ出ないんだから、せめて嘘はつかないでいこう。