僕が職を辞す理由なんてない

タイトルどおりだとちょっと語弊があって、正しくいうと、

 

 

 

僕が退職するにあたって、人に説明できる論理的な筋道の通った理由なんてない

 

 

 

ということ。

 

 

「なんで辞めるの?」の問いに対して、

これまではどうしても、人が納得するような理由を回答しなければならない、そんな気持ちを抱いていたことに気が付いた。

  

どうしてそんな気持ちを抱いていたのかというと、そうしないとこれまでお世話になった会社の上司やメンバに面目が立たないと思ったし、なにより自分の行動の正当性が担保できないと考えていたから。

 

 

 

そんな中、さらに気が付いた。

 

この先(それはほんのわずかの期間、3〜4か月分くらいの見通ししかないのだけれど)の暮らしには、「楽しそうだな」と思えることが待っているっていうこと。

 

 

「パーマカルチャー研究所」 https://permaculture-lab.com/さんに、約1ヶ月のあいだお世話になる予定で、これまでの生活を見返したり、あらたなくらしや、あらたなものの見方が見つかるのではないかと期待している。

この期間に「札幌トモエ幼稚園」を見学させてもらえることも、今後のこどもとの在り方を模索するうえでとても楽しみ。

 

また、妻の祖母の家が現在空き家になっており、そちらを改修する予定もある。自分でできることはなるべく自分でやりたくて、壁塗りや床板張りなどを実践したい。

 

環境や考え方、思想を見つめ直すことで、我が家の家族のかたちをアップデートしたい。

 

 

 

人のために、じゃなくて、

自分のために自分の気持ちや想いを確かめればよかったんだな。

 

そしてそれは、「直感」みたいにくくられる類の結論かもしれないけど、

すべてを言語化できなくてもいいんだな。

 

という結論に至った。

 

 

 

いいじゃん!楽しいことが待っているなんて。

それを純粋に享受して、そのうえでさらに考え、行動を続けていくことが、何より大切なことなんじゃないか。

 

 

 

旧友との早朝風呂を満喫した帰路、ひとり運転中に感じたお話でした。

 

僕が職を辞す理由

ひとことで言うと、「時が来たから」です。

 

 

 

... もっと詳しくいきます。

 

 

列挙すると、こんな感じ。

  • 家族をもっと幸せにしたい
  • 自分がもっと幸せになりたい
  • 自分で自分の人生を選んで歩んでみたい
  • いままではそんな選択できなかった、流れに身を任せる人生だった
  • 妻が鬱で退職して復活して今まで以上にパワーアップして人生これでもかってくらい変わった様子をみて、自分もやりたくなった
  • 何かしらして食っていけるだろうという人間としての自信がやっと出てきた(もっと若い頃には、辞めるなんて選択は到底できなかったが、いまはなんとかなるかなと思える)

 

具体的なエピソードとしては、こんな感じ。

  • 毎朝仕事にいくために子供を急かして、妻もキリキリして、保育園いきたくないと言う子におやつで釣って登園させる毎日。家で楽しく遊んでいるなら保育園に行かなくたっていいし、いきたくなったら行けばいいし、そんな暮らしにしたい。ただ、ワンオペはしんどい(するのも、させるのも)。もっと自由な働き方や暮らし方がしたい。
  • 老後の心配するなら、お金を稼ぐ力より、お金を使わないで暮らせる力をつける方が現実的なんじゃないか?野菜を育てたり、家を直したり、必要なものを自分でつくることのできる力。お金に依存しない生き方を目指したい。

 

 

 

正直、「なんでやめるの?」に対して、明確なこたえを持っていない、あるいは明言できない自分がいます。

いままで16年間もお世話になった会社を辞めて、何ができるの?何者になれるの?本当に幸せになれるの?甘いんじゃないの?

 

おそらくこれから、人生で最大の苦悩がくるのではないかなと予期しています。

自分がやりたいことって何?

自分の幸せって何?

家族の幸せって何?

 

これまで考えずに済んだことに直面して、悶々としたり落ち込んだりする日がくるのだと思います。

 

 

困ってみようと思います。

いろいろやってみます。やり散らかしたい。

もっと恐れを無くしたい。

 

 

 

それでも楽しく生きてるよ、って言えるようになりたいと思ってます。

望ましくない事態に遭遇して、満たされた気持ちになった話。

週末金曜の朝。ひょんなことから、通常勤務後に単身で子連れ宿泊をすることになりました。 (詳しくは妻ブログで↓)

kodomo-mirai.hatenablog.com

なんやかんやありました。なんせ、初物だらけ。

  • 初 ひとりで子どもふたり連れ

  • 初 民泊利用

  • 初 子どもふたりとも蜂に刺される(!!)

ということで、最後の蜂刺されについて今回感じたことを主に書きます。


当日の宿泊先を Airbnb で探しました。いいですねエアビー。魅力的な宿がたくさんあります。

条件に合うお宿が見つかり、お世話になることになりました。

ホストの方も、建物も、とても素敵でした。

小川町の築120年の古民家を大家さんから借り受け、自費でキッチンを直したり、かつてリフォームで新造された天井や外壁を取り除いたり床板を貼り直したりする作業を仲間と行っており、その作業は現在も進行中です。 古民家は民泊のほか、イベントスペースとして活用されています。

小川町のご出身ではなく、ではなぜ小川町を拠点として選択されたのか伺うと、養蜂に適した場所を探して行き着いた場所なのだそうです。 蜂を翌朝に見せていただけることになりました。 宿泊前の情報としても養蜂をされていることが掲載されており、私も子どもも養蜂の現場を初めて見られると期待して眠りにつきました。

翌朝は関東では珍しく雪が降りました。 子どもたちは大喜び。そんな雰囲気の中、裏庭に向かいます。

そこには蜂の巣箱が設置されていました。 蜂は寒い季節は巣箱に籠もり、羽を震わせて温度を一定に保つそうです。その日は降雪もあったため、蜂はみんな巣の中にいるようでした。

ホストの方が、子どもたちに様子を見せてあげるべく、ご自身のスマホを巣箱の下に差し込み、中の撮影をしてくださいました。 すると、数匹ほどの蜂が巣箱から姿を見せ、のそのそと歩いたり飛んだりしました。

その様子を私も子どもも楽しく観察していました。

そのとき、急に下の子が「いたいー!」と言い始めました。 ひだりのもみあげの上を蜂が歩いており、そのまま歩いて方の上へ。 上の娘はその様子が怖くてその場を離れます。 私が下の子が暴れないように手と体を抑えている間に、ホストの方が蜂を払ってくださったのですが、しばらくいたいいたいと言っています。 顔を見ると、左のこめかみあたりがぽつんと赤くなっています。ああ、刺されてしまったんだ。

すると今度は離れた場所にいた上の子が「いだいーーーはちにさされちゃったよーーうわ゛ーーーカメラでとってーとらないでーーしむの(死ぬの)?しむの?病気になっちゃうよーー!いだい、いだい、いだーーーーい!!」と叫び始めました。もうこちらはパニック状態。

どこに蜂がいるかと尋ねると、頭の上とのこと。しかしてそのとおり、蜂がのそのそと髪の毛の上を歩いているので、払いました。 ただ、刺されたかは定かではありません。 すぐにその場を離れ、玄関まで移動しました。

その後も上の娘は痛がり続けます。 その光景に圧倒されてか、下の子はもう痛がる様子を見せません。左頬を見ると、蜂の針が残っていました。それをホストの方が抜き取ってくれます。いたい?と聞くと、いたい、とすこし泣きそうな顔を見せましたが、泣きはしません。 そんなドタバタの中、ホストの方に宿泊のお礼を伝え、親子で車内に移動しました。

まだまだ上の娘は痛がっています。涙も流しています。 きっとどこかに刺された箇所があるはずと思い、頭皮チェック。 するとありました。頭頂からやや後頭部にむけて進んだ場所に、蜂の針がささったまま。 取るよと伝え、抜き取りました。

それからおよそ20分、車内でずっと、上の娘を抱っこして過ごしました。 この時間が、とても得難く、大事なものに感じたのです。

予定詰め詰めで行動開始時間を最優先にしていたら、娘が痛がるのを放ってシートベルトに縛り付け、泣き叫ぶ娘に心苦しく感じ、表面的にはイライラして、車を発進させていただろうなと思います。

痛みは時間とともに快方に向かって行くことを希望として提示しながら、いまある痛みを共有すること。

娘が次の行動を起こせるようになるまで、娘の自身の気持ちが落ち着くまで、時間を気にせず向き合うこと。

この時間が、とても愛おしいと感じました。 そうしたかったし、そうできた。 親冥利に尽きる。 そんな感覚でした。

子どもたちに痛い思いをさせてしまったことには本当に申し訳なく、そのような事態にならないよう最低限の心構えや情報を予め伝えるなどの責務を怠らないよう自戒するとともに、 今回の出来事を通じて自分の在りたい姿が少し明確になったこと、また子どもとのつながりや子どもたち自身の自信がより強まったのではないかな、と感じます。

そのような点で、とても素晴らしい体験ができたと感じた休日でした。

都市生活の子育て出費はエグい

ども、ミヤオです。

 

 

「都市生活の子育て出費はエグい」って感じたお話、させてもらいます。

 

 

三連休の初日に、子どもふたり(5才女児と2才男児)を連れて外出する機会があったんです。

なにしようかなー、二人連れて外にでるのも結構しんどいかもなあ。どうせなら子どもも大人も楽しめることしたいなー。

 

そこで思いつきました。

「そうだ!『アナと雪の女王2』を見に行こう!」

 

これは我ながらナイスアイデアです。なにせ、子供はふたりともアナと雪の女王が大好きだからです。

家では録画した映画をなんども見て、サントラも車内でなんども聞いて、YouTubeでアナ雪2のトレーラーを見て、エンドソングの中元みずきさんで「イントゥ・ジ・アンノウン〜心のままに」を覚えて、家では姉弟で事あるごとに合唱(最後の「ホゥ!」含め)するくらいもう大好き。

子どもたちは映画館で映画鑑賞するのは初めて。それをそんな大好きなアナ雪で飾れるのは絶好機ではないか!

この計画を前日に子どもに話すと、もうノリノリ!完全勝利の予感!よし、行こう!!

 

 

で、当日の結果です。

映画開始45分で姉弟揃って「怖いから出る!」

 

 

...物語も中盤に差し掛かかろうというところで終了。

いやー、お父さんもアナ雪2楽しみにしてたから、できれば最後までみたかったなあ。。。

 

でも、いいんです。怖い思いまでさせて映画見させるつもりはないんです。途中だからって最後まで無理強いするつもりはなかったので、潔く映画館を出ました。そのあとは映画館内を三人で徘徊して楽しんだりもしました。

 

 

ただ、本題はここからです。

「都会に住むって存外に金かかるんじゃね?」と思いました。

 

内訳は下記のとおり。計 ¥ 6,300 なーりー。

* ¥2,700:映画の前にお腹を満たすためオムライス屋さんで軽食

* ¥2,900:映画鑑賞代(45分)

* ¥700:映画不完全燃焼のため、館内出口でガチャガチャしたいといってやったやーつ

 

 

なんか、ふと思ったわけです。「これ高くねーか、エグくねーか」と。

特段体に良いわけでもない、そしてとても食べたいわけでもないものに3千円弱。

全部見れない映画にこれまた3千円弱。

子どもの興味期限の短い玩具に千円弱。

これらの活動が2時間半程度。この間に 6,300円。

 

いままでだったらなんとなーく、ふつーに支払っていました。

ただ、サラリーマンからの退職を決意・意思表明しており、その後の職が未定な私が改めて考えると、この楽しみに対してこの支払額は看過できなくなったわけであります。

 

 

そんな気持ちを抱きつつ、「都合的にはもう少し遊ばせたいなあ、だけどお金は使いたくないなあ」という想いから、数度訪れたことのある広い公園に行きました。

 

公園に着いたら着いたで、何かが気に食わない長女が文句たらたら。

「この公園じゃなければよかった。鉄棒がある公園が良かったのに。ここでは遊びたくない。」

もうカチーンときましたね。なのでこの時ばかりはこちらからも文句言いました。ブーブーブーブー。

 

 

だけど、そのあとの姉弟の遊びっぷりといったら!

上の子はターザンロープを何度もなんども自分で往復して、待っている子にもしっかりロープを渡してあげたり。

下の子はロープで作られた宙吊りトンネルをつたない足取りでなんども潜り、「お父さんもいっしょに遊ぼ」と誘ってきたり。

二人とも夢中で遊んで、2時間あっというま。陽も落ちて、寒くなってきたから帰ろうと言っても難色を示す始末。

 

 

さて。同じくらいの時間を過ごして、かたや6,000円ちょいの出費とそこそこの楽しさ。かたや出費なしで親が引き止めるまで帰らない楽しさ。どちらが有益かは一目瞭然かと思います。

ただ、最初から「公園に行こう」と誘っても、素直に応じてくれなかった可能性は否めません。

子どもたちは都会での楽しさを知っています。動物園や水族館。映画館に外食、アミューズメントパーク。家で動画を見ることなんて日常茶飯事です(インターネットはどこでも見られるので都会オンリーの楽しみではありませんが)。子どもたちはまずそのような楽しさを求めることがままあります。それが今の我が家です。

 

 

いまはまだ実現できていませんが、

子どもも親も楽しみたい時に、お互いが「公園に行こう!」と外出する、あるいは自然と楽しい豊かな方向に向かえる家庭を築きたいな。

そのための学習や実践をしてきたいな。

 

そんなことを思った1日でした。