自分がくっちゃくちゃになる感じ

二年目社員の方たちの成果報告会に、トレーナーとしての立場で参加した。

 

 

二年目社員の方たちの成果報告のまとめとして、このようなことを表明していた。

「リーダーになることを目指します」

「〇〇スペシャリストになります」

「より会社に貢献します」

 

それに対して自分は、こんなことを感じたんだよね。

「なんで?なぜそこを目指そうと思ったの?」

 

 

 

二年目の皆さんは、とても頼もしかったです。成長の跡がありありと見えて、自分より優れているなと感じる点も多かった。

なので、彼らの目標を不全だとか、貶めたりする意図や気持ちは一切ない。

 

 

ここでの焦点はただただじぶんの「なぜ」。

自分にはそこを目指したい気持ちがないことを認識した。だから、なんでみんなはそこを目指すのかが気になった。

 

楽しいから?それならもう万々歳だよね。楽しくてみんなのためになる、素晴らしいこと。

 

 

これを契機として、「自分」というものが如何に脆くて頼りないものかという考えに耽っていった。

 

好きじゃないから目指せない。内側からパワーが湧いてこないからね。それはオーケー。

じゃあ何が好きなの?何ならやる気出るの?

他者に自信を持って表明できる想いってないの?

 

 

ない。

 

 

じゃあ、それらがないといけないの?

流れに身を任せる人生、それもいいじゃない。うまくやってきたよ。これからもきっとね。

 

 

うーん、でもこれには今はNOと言う気持ち。

 

 

今までほんと、狭いスコープの中で、フレームにはまって生きてきたんだなと感じる。

たとえば、地元のことを他県の人より知らない。

自社の抱える案件を知らない。

自分が担当している製品の競合他社を知らない。

 

税のこと。政治のこと。子供のこと。親のこと。環境のこと。

それぞれぼんやり知った気で人と話をしていたけど、すべてが心もとなく感じてしまった。

拠り所がない気持ち。

 

 

 

退職後は、家を直したり、野菜を育てたりしたいと考えている。

それらって、「自立がしたい」という気持ちに根ざしているのかな、と思った。

 

揺るぎない、というとなんか違和感があって、

「しなやかに強く生きられる自分」になりたいのかなあ。

 

 

自分の声を引き出すワークをもっとやろう。

 

 

 

 

こんなことを考えている退職前の38歳のおじさんでした。

いやー、この年齢でこんなこと言っててヤバくね?とか思ったりするんだけど、それって一般論(ん?一般て何?)での感覚だし、自分ごとを自分で認めてあげないと人生進んでいかないから、認めます。

ポンコツです。頑張ります!

 

あー、ちょっと楽になった。これから楽しみだ!