公園にて、子どものたくましさとラブロマンスを垣間見た。

ミヤオです。

 

昨日、父母息子プラス犬にて公園に出かけました。

コロナに対しては慎重になる必要がありますが、子どもにとって屋外活動も必要ですからね。

 

ポカポカ陽気の公園では、サッカーの練習をする青年たち、ギターを3時間以上(!)も弾き語る男性、犬の散歩をする方、ママさんの集いなど、いろいろな立場の方々が、思い思いに過ごしていました。

 

我が家の3歳息子。ブランコやすべり台が大好きなので、一目散に遊具へ。

ばね仕掛けの木馬に近く年上男児を「これはおれんのだ、なに触っとんのじゃあ」と言わんばかりに追い払う様を、まあーそういう年代なのねと父母ともに観察。

基本的に、他の子に痛い思いやあまりにも不快な思いをさせない限りは親は手や口を出さないスタンスの夫婦です。

 

 

さてそんな中、階段上、滑り台前の踊り場的スペースに、ゲームに勤しむ女の子二人がいました。歳はどちらも息子よりは上。

息子はゲームが気になり、ふたりに近づいてそのゲーム機を上から眺めはじめました。

最初こそそのまま時は過ぎたものの、だんだんと見られることに嫌気がさしたのか、女の子ふたりが滑り台を降りて息子から離れました。

 

さあ、果てしなき追いかけっこの幕開けです。

息子はゲームが気になるのか、それとも逃げられたのが気になるのか、二人の子を追いかけまわします。

「なんかあの子追いかけてくるんだけど!」と言い、二人の女の子は息子から逃げる逃げる。

階段を登り、滑り台を降り、また階段まで掛け、登り、降り、のエンドレスモード。

(この過程を通じ、息子の身体能力は確実にアップした気がする。)

 

途中、女の子二人は「もうついてこないで!」と言う一幕があったが、その様子をわれわれ夫婦二人は観察し、「これは本気では嫌がっていないね」「うん、そうだね」と意見が一致し、レース続行。

 

当然歳の差があるので、息子は一向に二人には追いつけない。

 

息子が疲れて止まると、女の子は「追いかけておいでー」とベロを出して挑発。

 

 

..

... はい!この瞬間!!

 

はじめは嫌々逃げていた彼女が、次第に逃げることを快として感じはじめ、ついには追いかけて欲しいとまで思うようになってしまった。

なんと恐ろしい。

 

 

息子がまた追いかけ始めると、嬉々として逃げる女の子。

そのうち、女の子ふたりが休憩しているところに息子が到着すると、「かわいいね」などと言われて、それからは年上の女の子に付いて回って一緒に遊びはじめた。 

 

 

一連の流れを見てて思いました。

 

生きる力が半端ない。

 

 

きっかけは、自分が気になったことに首を突っ込んだだけ。

そして、ある程度他人や反応を気にせず、がむしゃらに突進した。

そうしたら、相手を喜ばせることになった。

挙句、仲間になって、自分も相手も楽しくなった。

 

 

自分に当てはめてみるとかなり勇気のいることを、平然とやってのけてる息子がそこにはいた。

 

 

「子育ては親育て」ということばを目にしたことはあったけど、それを実感した公園でのできことでした。

 

 

その後のダイジェストはこちら。

  • 息子、女の子に一旦飽きられる(ずっとつきまとわれて疲れたんでしょうね)
  • 遠ざかる背中に「おねえちゃーん!おねえちゃーん!」と叫ぶ(これも平然とやってのける息子に脱帽)
  • 走って、歩いて、おいついて。それでも袖にされる
  • でも諦めない
  • 他の子たちと別の遊び(ピンと張ったロープを飛ぶやつ)をはじめたおねえちゃんの側に寄ったら、他の子に紹介してもらえた
  • みんなの輪に平然と加わって、みんなから応援されながら飛ぶ
  • 男の子には冷たい(列に並んだ子を体でドンと押して自分が並ぶ...異性が好きなのね)
  • おとうさん(It's me)を呼んで強制的にジャンプさせる
  • 家から自転車を持ってきたい衝動と、「その間におねえちゃん帰っちゃうかもしれないよ?それでもいい?いやならあそぼ?(本人談)」とのはざまで葛藤
  • ママさん方からベビースターもらう

 

 

自分史上最高の子どもとの休日過ごさせてもらいました。

向かっていった自分の子も、そして受け入れてくれた子どもたちも、最高でした。

 

 

その晩は気持ちよく寝るだろうな〜と思っていたら、姉弟YouTubeのあれがみたいこれじゃない次は自分の番だぎゃーーーとなって、もうちょー不快でした。

完全に親のリードミス。親育ちしていかないと。。。。。

「生前贈与」に取り組む。

ミヤオです。

 

退職後の3日間ダイジェスト〜。

 

徐々に回復してきた感あります。

4/2 の起床までは、夢の内容も含めて腐ってましたねー。

ただ、やれることがすぐに増えた訳でもないし、生活リズムもそこまで変わっていない。日々はそんなにがらりと変わらないんだな〜という三日間でした。

 

 

そのなかでも特に、これは初めてだなーというのが、「司法書士さんに生前贈与に関して相談する」件。

 

なんでこんなことをしているか、背景は次のとおり。

  • 空き家になっている祖母宅を改修したい
  • それにあたって、市が運営する空き家利活用に関する助成金制度を利用したい
  • 祖母宅は現在、義母が所有する状態
  • 助成金を受けるには、リフォーム対象の空き家に住んでいることを確固たる事実として証明できる必要がある、とのこと
  • 証明の手段としてはつぎのどちらかを選択する必要がある
    - 親子で賃貸借契約を結ぶ
    - 空き家の所有権を妻(実子)に譲渡する ←こちらにした
  • 贈与のための書類作成が必要 ←いまここ

 

義母は健在なので、生前贈与というかたちになる。

そうすると、「贈与税がかかるんだよなあ。。」という心配が。

この点に関して調べていたら、こんな制度があったんだ〜という発見が。

  • 「相続時精算課税制度」
    参考:  https://www.jili.or.jp/lifeplan/houseeconomy/succession/7.html 

    「相続時精算課税制度」は、60歳以上の父母または祖父母から20歳以上の子・孫への生前贈与について、子・孫の選択により利用できる制度です。贈与時には贈与財産に対する軽減された贈与税を支払い、その後相続時にその贈与財産とその他の相続財産を合計した価額を基に計算した相続税額から、既に支払った贈与税額を精算します。

ほかのサイトも参考にして自分たちの条件と照らし合わせたうえでのめちゃめちゃざっくりの理解は次のとおり。

  • 贈与税を相続(義母が亡くなった)の際に精算するので、すぐに贈与税を納める必要はない
  • 特別な控除枠の範囲内に収まるので、節税効果が見込める

 

さてさて。ここまではよしとして、ではその生前贈与の申請を行わなければいけない。

申請は「法務局」に行うそうな。これもまた、人生のなかでいままで直接関わりのなかったところです。

 

時間があるなら自分で書類作って申請したい。ただ、今回はあまり時間がない!仕事はないのに。

なぜならば、先の助成金の申請開始日が 4/20 に迫っているから〜。

助成金によるサポートの前提条件が前年に比べて緩和されており、例年と比べて問い合わせの数が増えているそうな。そして、助成金を受けられる件数は限られている。

このレースには負けられない...!!

 

なので、自分で悠長に申請書を作成することは諦め、祖母宅の所有権移転を前回担当された司法書士さんにご連絡。これまたまた、人生初の体験。

結構クセのある司法書士さんで、電話口でどんどん必要書類をまくし立てられて焦る焦る。。。ただ話を進めると、なんだか親しみやすい印象。

事務所にも伺い、より詳細な情報を教えていただき、では書類集まったらまた電話ちょうだいということで本日は終了。

 

 

本籍地は変更してないから戸籍謄本を郵送手配しないと〜。

うーん、期限付きタスクが積んであると落ち着かない。自分の性格もがらりとは変わらないなあ。

ついに、退職のとき。

ミヤオです。

 

 

昨日、お世話になった方々への御礼を終え、退職いたしました。

(正確には、今月4月いっぱいは有給を消化させていただくため、4月末での退職です。)

 

いまは、あらたな拠点となる群馬県桐生市に向かう電車の中にいます。

 

 

昨日と今日で大きく変わったこと。それは「通勤していない」ということ。

 

宿泊したホテルをチェックアウトしたとき、時刻はちょうど、いつもなら会社に向かって歩を進めている時間帯。

毎日意識することもなく使っていた定期とパスモを解約し、改札を出てそれぞれの職場に向かう人の流れとは反対に、駅構内に向かう自分。

 

 

ああ、昨日までの生活は本当に終わったんだな。

あたらしい暮らしが、これから始まるんだな。

 

 

昨夜は有志による壮行会を、社内のBarで催していただきました。

これまでお世話になった職場での、そしてメンバの方々との、いったんの区切りの時間。

 

これからのことをお話ししたり、これまでのように冗談を言い合ったり。

サポートをいただいているばかりだと思っていたら、実は自分が思いも寄らないところでその人にとっての励ましや力になれたことがあったと言ってもらえたり。

お互いによい緊張感を持ちつつ切磋琢磨しあえる関係であったことを認め合って、感謝しあったり。

 

 

本当に、いい夜でした。本当に、自分は恵まれていたんだなと感じます。

思い起こしたら、ちょっと泣けてきました。

 

 

 

会社という後ろ盾のない人生が、これから始まります。

 

降車駅に着く頃には、駅で家族が待っていてくれます。

妻や子供、家族、まわりの人、そして自分に対して、いままで以上に時間を注ぐ日々を送ってみよう。いまはそう思っています。

乱暴な親子

二歳息子は、時に乱暴。

 

五歳姉を追いかけ回して、髪を引っ張ったり、叩いたりすることがある。

原因はどちらかというと姉が作っているようにも感じるけど、やはり乱暴は良くないと思う。

 

追いかけられて、娘が自分のとこに助けを求めに来るので、低めに抱っこ。

すると息子が追いついて、姉に手を上げる。

 

「ペシン(叩くこと)はだめだよ」と息子に言うと、次はこちらを叩いてきた。気持ちのやり場のない顔に見えた。

 

ついカッとなって、仕返しに息子の体を押すように叩いた。息子は倒れて、泣いた。

 

息子は立ち、少し離れたところで、まだなお泣きながらこちらを見ていた。

 

娘はおとうさんの雰囲気に耐えかねて、わざとおちゃらけて絡んできたけど、いまは遊べないとピシャリと伝える。

 

息子と目を合わせること数十秒。

手を上げてしまうことを注意している自分が手を上げてしまうというやるせなさ。

謝りたくなった。

 

「〇〇、叩いてごめんね。」

 

両手を息子の方に差し出すと、こちらに来て抱っこ。

大きな声を上げて泣き始めた。

 

ごめんね。

 

好きなだけ、気が済むまで、泣かせてあげたかった。

 

妻に後で事の顛末を伝えると、お互い強がって隠そうとしているところをさらけ出して、通じ合ったのかもしれないねと話していた。そうなのかもしれないな。

 

ほんとに、褒められた育児じゃない。

したくないこと、望ましくないことを、よくしてしまう。

そんなときは、素直に謝るしかない。

せめて、素直に謝る姿を見せたい。

 

子供はいつでも許してくれる。

さっきのことなんてなかったように。

そんな優しさや包容力に、ただただ甘えていてはいけないな。

 

あなたに「そっくり真似なんてしないけど、そんな考え方、そんな生き方、悪くないかもね」と思ってもらえるよう、おとうさん頑張るよ。

自分がくっちゃくちゃになる感じ

二年目社員の方たちの成果報告会に、トレーナーとしての立場で参加した。

 

 

二年目社員の方たちの成果報告のまとめとして、このようなことを表明していた。

「リーダーになることを目指します」

「〇〇スペシャリストになります」

「より会社に貢献します」

 

それに対して自分は、こんなことを感じたんだよね。

「なんで?なぜそこを目指そうと思ったの?」

 

 

 

二年目の皆さんは、とても頼もしかったです。成長の跡がありありと見えて、自分より優れているなと感じる点も多かった。

なので、彼らの目標を不全だとか、貶めたりする意図や気持ちは一切ない。

 

 

ここでの焦点はただただじぶんの「なぜ」。

自分にはそこを目指したい気持ちがないことを認識した。だから、なんでみんなはそこを目指すのかが気になった。

 

楽しいから?それならもう万々歳だよね。楽しくてみんなのためになる、素晴らしいこと。

 

 

これを契機として、「自分」というものが如何に脆くて頼りないものかという考えに耽っていった。

 

好きじゃないから目指せない。内側からパワーが湧いてこないからね。それはオーケー。

じゃあ何が好きなの?何ならやる気出るの?

他者に自信を持って表明できる想いってないの?

 

 

ない。

 

 

じゃあ、それらがないといけないの?

流れに身を任せる人生、それもいいじゃない。うまくやってきたよ。これからもきっとね。

 

 

うーん、でもこれには今はNOと言う気持ち。

 

 

今までほんと、狭いスコープの中で、フレームにはまって生きてきたんだなと感じる。

たとえば、地元のことを他県の人より知らない。

自社の抱える案件を知らない。

自分が担当している製品の競合他社を知らない。

 

税のこと。政治のこと。子供のこと。親のこと。環境のこと。

それぞれぼんやり知った気で人と話をしていたけど、すべてが心もとなく感じてしまった。

拠り所がない気持ち。

 

 

 

退職後は、家を直したり、野菜を育てたりしたいと考えている。

それらって、「自立がしたい」という気持ちに根ざしているのかな、と思った。

 

揺るぎない、というとなんか違和感があって、

「しなやかに強く生きられる自分」になりたいのかなあ。

 

 

自分の声を引き出すワークをもっとやろう。

 

 

 

 

こんなことを考えている退職前の38歳のおじさんでした。

いやー、この年齢でこんなこと言っててヤバくね?とか思ったりするんだけど、それって一般論(ん?一般て何?)での感覚だし、自分ごとを自分で認めてあげないと人生進んでいかないから、認めます。

ポンコツです。頑張ります!

 

あー、ちょっと楽になった。これから楽しみだ!

退職する必要がなくなってきた!?(続・僕が仕事を辞す理由)

昨日のブログで、清々しかったー、なんて書きました。

清々しい一日 - 3ヶ月後にサラリーマン辞めるマンが考えたこと。

 

 

はて、ふと振り返ってみると、最初に仕事をやめる理由として、こんなこと書いてました。

僕が職を辞す理由 - 3ヶ月後にサラリーマン辞めるマンが考えたこと。

毎朝仕事にいくために子供を急かして、妻もキリキリして、保育園いきたくないと言う子におやつで釣って登園させる毎日。家で楽しく遊んでいるなら保育園に行かなくたっていいし、いきたくなったら行けばいいし、そんな暮らしにしたい。ただ、ワンオペはしんどい(するのも、させるのも)。もっと自由な働き方や暮らし方がしたい。

 

 

おや。

なんだか、少しずつ、達成・解消できてる気がする。

 

平日か休日かの違いはあるし、保育園にだって行かせている。今週は残業志願して妻のワンオペ増えてる。

 

なのに、気持ちが全然違う。

 

 

平日も子どもたちを無理に起こすことはしていない。出社時間に間に合えば自分が、そうでないなら妻が保育園に送っている。

保育園に行きたくないー!となったとき、まるまる一日家で過ごさせてあげられるか〜というと、ちょっとそれは(家事あるし仕事したいし退屈させない自信や経験もまだないし)...だけど、できればそうしたい気持ちや、将来的にはそれを自然と受け入れる家族になりたいという理想は夫婦の共通認識としてある。

働き方についても、週に一度のテレワークを活用させてもらっているし、フレックス制度も導入される見込みだそうな。

 

 

いろんなことが好転してきている!!

 

 

 

あれ、、、前より格段に暮らしやすくなってきているぞ。

 

もしかして、、、仕事やめる必要なくね??

 

 

って気持ちが頭をもたげてきました。

「こんにちは、僕たち仲良くなれそうですね。

  辞表撤回すれば元鞘だよーん?

   まだ間に合うよーーーん??」

 

 

 

 

 

そういう選択もなしではないなあと思いました。

でも、やはり、辞める、という選択をします。

 

 

こうやって事態が好転したのは、

「辞める。そしてその先も生きる。」

という未来が現実のものとしてそこにあるからこそ、だと感じているからです。

課題山積の未来が待っているから、今から変わっていかないといけない。これが原動力になっている。

 

 

会社勤めをしてきたこの16年間。

月から金は出社し、土日に余暇を楽しみ、定期的にお給料をいただく。

このテンプレートの中で、可変部分をどうカスタムするか、そして不可変部分を仕方がないものとして受け入れる日々を過ごしてきました。

なんなら、小学校や幼稚園時代からテンプレ生活が始まっていたかな。

 

 

このルーチンから離れる。

どう暮らすか、どう稼ぐか、どう生きるか。ということをより自覚的に、能動的に考えて実践していかないといけない。

 

正直怖いっす。

自分は無価値だって認識して落ちるかも。

何でやめたんだろ、って後悔するかも。

一銭も稼げないかも。

 

でも、正直楽しみっす。

妻や子供、周りの人たちと新たに、どんな関係を築けるだろう。

新たな世界に触れて、自分は何を感じ、実践し、循環させられるようになるだろう。

 

 

 

どっちの気持ちもせめぎ合っているから、常に揺れ動いてはいるのだけど、最後の最後にはいつも「まあーなんとかなるさ!」で締めくくっている。

 

仕事をやめるという一大決心を なんとかなるさ で乗り越えられるいまこそ、新しい挑戦のはじめどきなのかなと感じてます。

 

 

 

こんな気持ちになれるのは、職場のみんなや友人の理解や応援あってこそ。

そして一番そばにいて苦楽をともにする家族あってこそ。

本当に感謝です。ありがとうございます。

 

清々しい一日

週末日曜は、実に清々しかった。

という単なるログです。

 

 

 

午前に自宅マンション売却のための内見対応。

 

その後、家族連れ立って近所の公園へ。

子どもたちはまずブランコ専有状態でかなりぶーらぶーら。大人が「長いなあ」と思うほど一つの遊具で遊んでいると、子どもも自発的に他の子に譲ってあげられる気持ちになり、行動に移しているのが印象に残った。(下の子2歳11ヶ月はまだ譲るという気持ち行為には及ばず。)

満たされると、自然と他者にも優しくなれるんだなあ。

公園内のこんもりした山の頂上で鬼役と人間役で相撲をとったり、おんぶで走り回されたり、もうひとしきり遊んだ。

 

お腹が空いたので、コンビニへ。(大人のほうがへばった...)

子どもたちはアイスを所望。コンビニ&アイス、っていう点については妻とも「どうなの?」とすこし協議したが、内見対応もみんなでできたし、これだけ体力使って遊んで気持ちが良かったので、この過ごし方なら快く購入できるね、と意見が一致した。子どもたちはコンビニから出るなりアイスにかじりついて、色とりどりのおじさんひげを生やしていた。

 

帰宅して昼食。

 

食事後に上の子が「テレビみたい」と言ってきたが、午前の外出中に、午後はまずみんなで絵を描いて過ごそうと約束していたことを諭すと、娘も機嫌を損ねることなく了承。

準備の過程で気が変わったのか、弟と二人で動物園ごっこ(家具を寄せ集めた園舎づくりから)を始め、ふたりでかなりの時間楽しく遊ぶ。

 

その後ベランダで縄跳びを始めたかと思いきや、突如水遊びに変更。ふたりともびしょびしょになって遊んだ。まだまだ寒く感じるこの季節によくやるなあと呆れと感心。

こちらの対応としては、水遊びを始めた段階でお風呂掃除をして湯を張り始め、ふたりが寒くなって家に入ってきたらお風呂に直行させ、引き続き遊んでもらった。

 

子どもたちが遊んでいる間中、いろいろと話をすることができた。

前日に移住先のおばあちゃん宅について打ち合わせをしていただいたり、素敵な工務店さんや現地のDIY先駆者を紹介いただいた。なので、夫婦二人で改修のためのコンセプト出しや改修案を話した。

また、今日の過ごし方はすごくいいよね、家族全員にハマっているよね、こうやって過ごせるかどうかも物事の考え方や感じ方に依るよね、といった話もした。

 

お風呂に入って、夕食までの束の間だけテレビを見て、美味しいごはん。

下の子は食後すぐにソファでダウン、あっという間に就寝。昼寝なしでまる一日過ごしたから、そうなるよね。

ただ、人のことは言ってられない。自分も眠たい。下の子が寝入ってからさほど時を経ずして、この日は家族揃っての早い入眠。たぶん19時ころには全員寝てしまったのではないかな。

 

 

 

子どもたちにテレビばかり見せたくない自分。

でも、楽しく遊ぶ方法を見つけられない、わからないからテレビに頼ろうとする自分。そして子どもたち。

お菓子やアイスばかりねだられたくないし、食べてほしくない自分。

 

そんなモヤモヤやイライラを感じることなく過ごすことができた週末だった。

 

 

 

追記:

この投稿を経て別記事書きました。

退職する必要がなくなってきた!?(続・僕が仕事を辞す理由) - 3ヶ月後にサラリーマン辞めるマンが考えたこと。